
今迄 漠然的に嫌だと思っていたこと
抽象的すぎて表現しづらくて辛かった
Twitterである人のつぶやきを見て腑に落ちた
私が『モノ』扱いされている時
この時に私はその相手に落胆していることに気づいた
社会の歯車なんだから…
という声も聞こえてくるが
でも私は『モノ』ではないし
感情のある 一人の人間だ
悲しき 穴モテ時代
http://hanayuki2017.jp/blog-entry-26.html
人から見た私
http://hanayuki2017.jp/blog-entry-262.html
でもそうだった
性的欲求のはけ口の『モノ』とされたことに悲しくなった
相手に私への感情が全く感じられなかったからだ
仕事でもそうだった
任務遂行は仕事としては優先事項
それはわかっているつもり
でも機械ではない
言葉や態度に出てくる
私という『モノ』への扱い
丁寧に大切にしろとまでは言わないが
話している相手は『モノ』ではなく一人の人なんだと
その時は話ではなく機械への条件設定しているように思える
虚しく感じるのは私だけだろうか?
人によっては意地悪をして反撃する人もいるだろう
実際にいるけど…
私はそんなことはしたいと思わない
私まで誰かを『モノ』扱いしたら
私が嫌だと思う
人を『モノ』扱いする人と同じになってしまう
そこは私なりのプライド
人によっては無意味な事と笑われるかもしれない
こんな不器用な生き方しかできない
だから辛いんだけど…
解消されない『モノ』扱いの日々
心身共に疲労困憊
私を一人の人として扱ってほしい
最低限として…
いけない願いなのだろうか
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